先週は、かねてから寝込んでいたカミさんの祖母がとうとう危篤状態。
カミさんは子供を連れて実家へ。
間の悪いことに、私は日曜に友達の結婚式で川崎まで行かなければならない。
しかも、祝辞まで頼まれている。
頼むから重なってくれるなよとの願いも空しく、木曜にお亡くなりに。
でもって、お通夜土曜日、葬式は日曜に決定。
仕方なく日曜は朝の出棺だけ立ち会ってそのまま新幹線でGOという計画に。
従って諸々の用事も土曜日の夕方までにやってしまわなければならない。
カミさんが1週間近く留守なので、洗濯や皿洗い、冷蔵庫の中の整理等々。
その合間を縫って、ガレージの塗装ECの整備やハンドル詰め何かやったもんだからなのかボルト折ってしまうは、もう大変。
カミさんの実家はそれどころではない忙しさだったようだが、こっちにはこっちの予定がある。
わりと昔風の家なので、親戚一同が大勢常駐するのが当たり前のような雰囲気であったが
私はあえてそうはせず、顔を出すくらいに留めていた。
冷たいようだが、あまり接点のない人の死などそんな物だろう。
もちろん死者に対して敬意を払わないということではない。
ただ、もともと仰々しく儀式を行うことについて普段から懐疑的な私なので
それに必要以上につきあう時間がもったいないと考えてしまうのだ。
カミさんが留守にしている間は、私が家を片づけ維持する。その方が効率が良いではないか。
私まで先方に長居して、所在なげに過ごしたとしても、誰にも何のメリットもないのだ。
生きている人間は、生きている内に為せることを為す。これに尽きるような気がするのだが。
幸いにも私の親兄弟親戚一同、そういったことには全く淡泊で、皆何もやらんでよいと思っている位だ。
ただ、実際には死んだ者の遺志より、残った物の意志が優先されることが多いのも事実だ。
その時になってみなければ判らないことではあるが..。